もともと、ここ『いからし接骨院』は『五十嵐接骨院』として父親が開業しました。
小さいころから父親の働く姿を見て自然と患者さんとなじみ、接骨院にいるのが当たり前でした。
本格的に接骨院の先生(柔道整復師)を目指すきっかけは高校生のころでした。
私は、小学生の頃から父親の影響で柔道を始めました。【現在は少年柔道を指導しています。新潟第一中学高等学校にて新潟第一柔道クラブ尚志館道場の一員として子供達に指導しています】
高校生の頃に試合で鎖骨を骨折するケガをしました、初めての大ケガでした。非常に痛くて今でも鮮明に覚えています。そのケガをしっかりと包帯で固定し治療してくれたのが父親でした。その後、高校生活だけで鎖骨を2回も骨折・・・。(笑)
ケガをするたびに治療をしてくれた父親の姿。
患者さんに笑顔で「ありがとうございました」と言われる姿。輝いて見えました!
そんなこんなで、自分自身もこの仕事に就きたいと思い目指すことになりました。
平成15年に高校を卒業し石川県金沢市の北信越柔整専門学校に入学しました。2600時間の講義を受け3年後に国家資格を取得 しました。
初めて親元を離れ、最初は不安もありましたが、同級生、先輩、後輩や様々な方に支えられました。今でも年に一回は必ず金沢に行き友人達と交流を深めてます!
金沢は第二の故郷だと思っています(笑)
3年間という短い時間でしたが勉強に接骨院での研修と充実した3年間であり、何より生涯の仲間達も手に入れたことが、一番の思い出です。
国家試験に合格した後は実家の『五十嵐接骨院』には入らず、学校の紹介で新潟県三条市の丸山接骨院にて修行をさせていただきました。
師匠をはじめ兄弟子達と治療技術を切磋琢磨し、自信をつけさせていただきました。
その後長野県の接骨院の先生にお世話になり、実家でもある『五十嵐接骨院』に帰ってきました。
その後、1年後にプチリニューアルとして『いからし接骨院』を開院しました。
新潟では【五十嵐】の読み方を【いからし】と読むんですが県外の方は【いがらし】と読むのが一般的みたいですね・・・
ちなみにですが全国でも『いからし接骨院』表記の接骨院は一件しかないと思います(笑)